希望の種

僕が子どもの頃であったろう。

まだ二十歳になった自分さえも想像できていない頃。

たくさんの種を蒔き。

その成長を楽しみに待っていた。

毎日ちゃんとお水をあげていたのかな?

毎日ちゃんとお日様に当てていたのかな?

ちゃんとお世話をできていたのかな?

いくつかは芽が息吹、いつか枯れてしまった。

いくつかは芽を出すこともなく、いつか土の中で息絶えてしまう。

いくつは葉を立派につけ、いつか花咲くことなく終えてしまった。

どうしてだろうか?

お水をちゃんとあげているのに。

お日様にちゃんと当てているのに。

ちゃんと毎日お世話をしていたのに。

なのにどうして?

僕は知らなかった。

土の大切さを。

土の合わせ方を。

子どもの頃の僕には、わからなかったんだ。

僕が持っている土のことを。

瘦せこけた土地では、大きく育たない。

痩せこけた土地では、種を多く蒔いてはいけない。

蒔くべき種を

残すべき種を

残すべき葉を

見定める必要があった。

この土壌でどのような花を咲かすことができるのか?

見極める必要があった。

僕は愚直に水をやり、日に当て、同じ失敗を何度も繰り返してもなお、

僕が持つ土のことに何の疑問も抱くことはなかった。

やがてそれは憎しみとなり、諦めとなり、心はすり減っていった。

どうして?

どうして僕だけ花が咲かないの?

誰も教えてはくれなかった。

僕に土の大切を教えてくれる人はいなかった。

何故ならそれはあまりにも酷な現実だからだ。

大人は皆、僕に気遣ってくれたのだろう。

優しさであったのだろう。

楽しみに成長を待つ僕に告げることなどできなかったであろう。

「あなたの土地では、お花は咲かないの。」

そんなことを告げるなんて、できなかったであろう。

この身体でなければ、僕にはたくさんの可能性があったであろう。

僕は生まれてすぐに閉ざされてしまった扉がいくつもある。

恨みはない。

怨みもない。

憾んでなんかはいない。

生まれは選べない。

ただこれは必然ではない。

運命などでもない。

単なる遺伝子の戯れだ。

僕はただ、人より劣る身体をいくつか授けられただけ。

偶々だ。

だけど誰か教えてほしかった。

もっと早く気付かせてほしかった。

優しさなどいらなかった。

気遣いなどいらなかった。

僕自身が曲がりくねったまま成長してしまう前に。

教えてほしかった。

もう成功も失敗もいらない。

成功も失敗もない。

僕の種はすでに尽きた。

皆より早く尽きた。

躍起になり、蒔いては枯らしを繰り返し、無駄にしてしまった。

種がなければ成功も失敗もない。

それでいい。

それが僕の希望であったのかもしれない。

希望無き人生こそが、僕の希望であるのかもしれない。

そんな言葉遊びをする日々だ。

無意味で、無駄に時間を浪費している。

くだらない。

本当にくだらない人生だ。

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