日本にもこんな音楽を作成する人たちがいるのだな、と感動をした。
シガー・ロスのアゲイティス・ビリュンを聴いたときと同じ感動を覚えている。
幽玄で幻想的、だけどどこか日常の延長線上のような景色。
声質、歌い方がものの見事にサウンドと嵌っており、内省的な感覚を刺激される。
それは
慰め、ではなく
諦め、をくれる。
僕にとっては空虚さを埋めるものではなく、空虚な期間があっても仕方がないこと、と諭してくれる存在だ。
誰もが皆、自分の人生をぎゅうぎゅう詰めにしているわけではない。
停滞もするし、後退もする。
所々、穴が開いている人もいるだろう。
無理をして埋める必要はないんだ。
喜びであろうとも、悲しみであろうとも、無理をして何かで埋める必要はない。
諦めることは大切だ。
諦め、をくれる存在はとても大切だ。
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